【RADWIMPSの五月の蝿の歌詞に見る】アーティストってずるい

音楽のススメ

五月の蝿という曲をご存知だろうか。

野田洋次郎が吉高由里子に向けて書いたのではないか、と噂されている曲である。

とりあえず歌詞を見てほしい。

 

五月の蝿

作詞/作曲 野田洋次郎

 

僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ

君が襲われ 身ぐるみ剥がされ レイプされポイってされ途方に暮れたとて

その横を満面の笑みで スキップでもしながら 鼻唄口ずさむんだ

僕は君を許さない もう許さない もう許さないから

哀しみや憂いの影の 一つも宿さず

かわいいと謂れ慣れて 醜く腐ったその表情

もうフォークを突き立てたいよ

あぁ死体 死体になった君を見たい

己が醜さ恥じて 髑髏を垂れ

名前より先にごめんなさいを口癖に

今日まで 手合わせ 生きてきたのに

バカみたい 君を見てると

まるで自分が世界一汚れなき者に思えてきたりもするんですが

生憎そんな遠回りせずとも僕は僕を大事にできるから

もういらないよ

僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ

通り魔に刺され 腑は零れ 血反吐吐く君が助け求めたとて

ヘッドフォンで大好きな音楽聴きながら 溢れた腑で縄跳びをするんだ

僕は君を許さない もう許さない もう許さないから

君の罪裁く法律はない あぁ なんて世界だ

変わりに僕が罰してあげましょ なんて言うかよバカ

君にあげた僕の言葉達よ成仏せよ

その身体に解き放った 愛しの僕の精液を お願いよ 取り返したいの

かわいそう かわいそうで泣きそう

空が蒼いように 華が散るように 君が嫌い 他に説明は不可

君が主演の映画の中で 僕はそう 最強最悪の悪役

激動の果てに やっと辿り着いた 僕にもできた絶対的な存在

こうやって人は生きてゆくんでしょ? 生まれてはじめての宗教が君です

僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ

君の愛する我が子が いつか物心つくとこう言って喚き出すんだ

「お母さんねぇなんで アタシを産んだのよ」

「母さんの子になんて産まれなきゃよかった」

「母さんの子になんて産まれなきゃよかった」

「母さんの子になんて産まれなきゃよかった」

そこへ僕が颯爽と現れて 両の腕で彼女をそっと抱きしめるんだ

君は何も悪くないよ 悪くないよ 悪くないから

 

まあ元々知っていた人も多いと思うが、なかなかに過激な歌詞だ。

野田洋次郎は、吉高由里子と付き合うようになってから過激な歌詞をよく書くようになったという。

その原因はおそらく、2人の間に喧嘩が絶えなかったことだろう。

いや、きっとそうに違いない。

だが憎しみを歌詞に込めるのはいかがなものか。

ぼくはRADWIMPSを好きでよく聴く。

この曲もまた然りだ。

しかしながら、憎しみを歌詞に込めるのはずるい。

あくまで野田洋次郎が「君」を実在の人物について言っている場合の話だ。

「君」が架空の人物ならばいい。

だが実在の誰かに向けている場合、いくら表現の自由が認められているからって、一方的に憎しみを昇華するのはずるい。

ぼくを含むRADWIMPSのリスナーは皆、野田洋次郎が大好きだ。

それゆえにどんなに過激な曲だろうと、曲さえ良ければ野田洋次郎が正しいと思い込んでしまう。

仮に実在の「君」が「この曲私に向けたものだわ……。悔しい、見返してやりたい」と思っても、報復する術がない。

その上、自分に向けられたなどという証拠を示すこともできない。

ただの失恋ソングなら「君」にされたっていくらでも構わないだろう。

「あの人まだ私のこと忘れてないのかな」とか「今更そんなこと言うなんて女々しいわね」とか思うくらいだろう。

だが、リスナーを巻き込んだ喧嘩は良くない。

こんなことを書いてはいるが、これについては野田洋次郎にどうしてほしいかなんてぼく自身も全くわからない。

五月の蝿の狂気的な歌詞もメロディもすべて、もう既に好きになってしまっているからだ。

それでもふと思うのだ。

「君」がかわいそうだなと。

そしてほんの少し心を痛める。

もし「君」が架空の人物ならば、この考えを巡らせるほど時間の無駄なことはない。

それでも「君」が架空であることを願い、すべてがぼくの杞憂で終わることを祈る。

コメント