【終わりよければ?】初の登山にて富士山を制覇するも、スマホをバスに忘れる

日本一の標高を誇る山、富士山。

日本に生を授かり、生きてきたものでこの名前を知らない者はいないだろう。

そんな偉大なる山にぼくは挑んだ。しんどかった。

標高上がるごとに寒くなるっていうのは知識では知っていたが、身を持って体験したのはこれが初めて。ほんとに寒いんだね。

だって夏じゃないか。新宿は九月といえど、三十度に近かった。

頂上はもう寒いなんてものじゃない。「ここは北極か」と嘆くぐらいのものだった。北極に足を運んだことはないが。

運が悪かったのか、風がとてつもなく強い日を選んでしまったらしい。

風速は10メートルを超え、体感温度はマイナス10度ほどとかなんとか、山小屋の人が言っていた。

たまったものじゃない。ぼくは都会の甘っちょろい冬しか経験したことがない(それでも毎年凍えそうになっているが)。

そんな甘ちゃんな都会っ子が極寒の頂上(付近)でご来光を一時間近く待つ。

ぼくの思考は「寒い」という感情に支配された。

とにもかくにも頂上(付近)でご来光を拝み、ほんとの頂上に足を運び、下山を果たしたわけだ。

帰りのバスまで時間があったため、五合目でご飯ということになって御飯処に足を運ぶ。

「ほうとう食べたい」が口癖のぼくにとって、メニューにほうとうを見つけた時の喜びは言うまでもない。

そして「ほうとう売り切れ」のお知らせを見た時の絶望も。

かくして雲海ラーメンなるシンプルな醤油ラーメンで腹を満たし、帰路についたわけだ。

「あれ、スマホがない」

最寄りでバスを降りたとき、ぼくは気づいてしまった。

ポケットに入っていたはずのスマホ(iphone8)がないのだ。

バスの中でスマホをいじっていた記憶から導き出される結論は「バスにスマホを忘れた」ということ。

現代人、当然のように焦る。

しかしながらスマホは焦っていても戻ってこない。

友人に電話を借り、バスの営業所に連絡。

後日までに報告を待つというところに落ち着いた。

「終わり良ければ総て良し」

こんな言葉をぼくは思い出した。

しかし当然のことながら、ぼくの現状は真逆。

「終わり悪ければ総て悪し」なのだろうか。

実際のところぼくの心にはもやもやだけが残った。

「富士山を登り切った達成感」や「富士山を登り切った疲労感」はもやもやに覆われてしまったのだ。

何とも悔しい。ああ、できることならバスを降りる前にスマホを確認しなかった自分に何とか言ってやりたい。

それでも現実は残酷である。

もし知らない誰かがぼくのスマホをどこかに持ち去ってしまっていたとしても、文句を言うことはできない。いや、できるかもわからないが。

ぼくは確かに富士山を登り切ったはずである。そして、日本一の景色も眺め下したはずなのだ。

そこでこの一発を食らうとなると「神様なんていないよ」って嘲笑われているようでならない。

ぼく自身で切り開く

果たして本当に神様はいないのだろうか。

しかし今審議するべきところはそこではない。

いるかいないかもわからない神様がぼくに微笑んでくれなかったなら、ぼくは自分で活路を切り開いていく。

つまりは、今度は河口湖あたりに旅行を計画してほうとうを食べる。

ああ、早くほうとう食べたい。

コメント