ソクラテスの説く思想とは|アンパンマンとばいきんまんに見る倫理観

ソクラテスの胸像 生きる秘訣

ソクラテスっていう人は偉大な哲学者らしい。

いつぞやの倫理の教科書に載っていた。

ソクラテスって名前、かっこいいと思う。

だけど、彼とは違ったぼくなりの哲学論を語りたい。

それで、彼の考えを超えられるとは思っていないし、そもそも比べるものではないと思う。

題名は一種の詐欺である。

「ソクラテス 思想」ってググったら、

「正義とは何か」「勇気とは何か」

とか出てきたから、それについて持論を展開していこうと思う。

 

まず、正義について語ろう。

何もないところから考えるのも大事だと思うが、既存のところから考えを広めていくのも大事だと思うので、wikiで正義の項目を見てみる。

そこには、こうある。

「正義とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などにもとづく道徳的な正しさに関する概念である。」

……なるほど。

これを見てしまったからには、自分なりに正義を再定義するのは至難の業になってくる。

ということで、

「アンパンマンは正義の味方なのか」

という討論を、自分の中で進めることにする。

 

正義の立役者、ばいきんまん。

国民的アニメ、アンパンマン。

彼は、困ってる人に、自分の顔をちぎって差し出す。

なんて捻くれた正義の形なのだろうか。

しかし、彼の主な仕事は、それというより、正義のヒーローとして悪を倒すこと。

悪という対照的な存在を排除することによって、自らの正義を正当化する。

悪はもちろん、悪さをするから、退治されて当然である。

だが、見落としているものがないだろうか。

それは、悪が存在するから正義も存在し得るのではないか、ということ。

正しさとは何か。

それを考えると、いつもその対にある間違ったことが付きまとう。

これに限ったことではなく、様々なところでぼくたちはそれを体験している。

戦争ありきの平和、富裕ありきの貧困、巨乳ありきの貧乳……。

どこか違うようで、これはこの世の真理である。

ばいきんまんありきのアンパンマンなのだ。

つまり、誰かが正義を主張してドヤ顔を晒しているうちは、悪が廃れることもない。

 

勇気があるのは、どちらかというとばいきんまん。

「愛と勇気だけが友達」だというアンパンマンだが、アンパンマンは決して勇気に満ち溢れたヒーローではない。

というのも、アンパンマンがばいきんまんを例のごとく倒すのは、ばいきんまんは悪さをしたという大義名分があるからで、「悪は倒して当たり前」というスタンスが出来上がっているからである。

それに比べて、ばいきんまんはどうか。

彼は、己の私利私欲を満たすがために、いとも簡単に他人に迷惑をかけることができる。

ぼくの定義する勇気とは、良くも悪くも社会的な当たり前に反する行動が出来ることだ。

決まりを破る、ナンパをする、行列に横入りする、みんなドリンクバーを頼んでいるけど自分だけ頼まない、など、基本的に流れに反しているところに、それは感じられる。

だが、アンパンマンはどうか。

彼は、悪さをしたから退治する、という見事に流れに即した行動を取っている。

ふと思ったのだが、アンパンマンの脳みそは一体どこにあるのだろうか。

顔は取り外し可能な上に、無いときも動いている。

普通であれば頭の中にあるはずだが、そこんところはどうなっているのだろう。

頭の中にあると仮定すると、アンパンマンは複雑な技術で記憶の情報を引き継いでいるのではないかと考えられる。

アンパンマンのことはどうでもいい。

 

ばいきんまんに、なればいい。

ばいきんまんのように、他人のものを取ったりして困らせてはいけない。

だが、アンパンマンのようなつまらない人間にもなりたくない。

勇気を出せば、君はヒーローになれる。

もしくは、嫌われ者になる。

要は使い所を考える必要があるのだ。

高校の文化祭の打ち上げに誘われる、大学のサークルの新歓に誘われる、会社の飲み会に誘われる。

これを勇気を出して断れば、たちまち浮いた存在になること、間違いなし。

そこじゃないんだ。

授業で、問題の答え分かってるのに周りの空気を読んで手を挙げないとか。

バイト辞めたいのに、店長が怖くて言えないとか。

付き合ってるのに、恥ずかしくて手を繋げないとか。

好きな人と手を繋ぐ方法と勇気の出し方+口実とかタイミング
手を繋ぐ勇気と口実 手を繋ぎたいけど繋げない! 付き合う前の微妙な関係だったり、付き合いたてでぎこちない二人。 だけど、好きだから手は繋ぎたい。 あと一歩のところで、今日も繋げずじまい。 「そもそも手を繋ぐ方法とか...

欲のままに勇気を出せば利益が発生するなら、勇気を出すべきである。

 

最後に

ソクラテスは「人は真理すべてを知ることはできない。人間は無知だということを知るべきである」と言っている。

つまりそういうことだ。

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