ぼくは何かに秀でているわけではない。
かといって、何かをひたむきに努力する忍耐力を持ち合わせているわけでもない。
お先は真っ暗なのかもしれない。
だからぼくは先のことをあまり考えないようにして生きている。
それはただの逃げであり、反論する余地もない。気力もない。
逃げるが勝ち、という言葉がある。
ぼくは最近、そいつによく救われる。
逃げるが勝ち、という言葉に頼ってしまう心すら逃げなのではないか、と。無限ループに陥ってしまう。
だから結局、考えないようにするのが最善策で、それもまた逃げなのだ。
だが、どんな世界だって共通の常識は覆せない。
生きていくにはお金が必要
ここからは逃げられやしない。
逃げるが勝ちなんて言葉すらまかり通すことは不可能。
この常識がぼくらを生きづらくしているのも事実だが、このシステムに守られているというのもまた事実。
生きづらくも生き永らえやすいこの日本に感謝せねばならない。
お金は必要。
どのようにして安定した収入を得るのか
コツコツと働くのが遠回りなようで、一番の近道。
だがそれも難しい。甘え。
非正規雇用でなんとか生きていくだけのお金は工面できる。
でもぶっちゃけそれ以上も欲しかったりする。
あれが欲しい、これが欲しい。あれしたい、これしたい。あそこに行きたい。
なんだってお金が必要だ。
わがままなことは十分承知の上でなお、わがままをまかり通して生きていきたいと願ってしまったのだ。
だとしたら、決してこんなことをしている場合ではないのだ。
でもむやみやたらに根性論を押し付けられるのは嫌い。
ほんとにわがままで困ったもんだ。
そんなことを考えながらも、ぼくは今の時代だからこそ期待していたりする。
好きなことでお金を稼げるかもしれない時代
「かもしれない」というのはいささか不安なものでもあるが、可能性がないわけではない。
YouTubeで人気を獲得すれば広告収入が入ってくるし、音楽を作ってファンを獲得したら印税で食っていけるかもしれない。
下手な絵で漫画を描いていたら、Twitterでバズってひょんなことからお金を得る手段につなげられるかもしれない。
ぼくはそんな幻想を抱いているからこそ、いろんなことに手を出してしまう。
周りからしたら「まーた、あいつやってんよ」とか思われるかもしれないけど、ぼくはこんな自分が一番好きだ。
確かに周りの評価は気になる。
高評価はうれしいし、低評価は本当に心がえぐられたりする。
でも一番大事なのは好きな自分を貫き通すことだ。
なぜなら、自分だけが生まれてから死ぬまでの一生のパートナーであるから。
それこそが真理であってほしいと願う。
いろんなことをやっているうちに自分では努力とも思わない努力が積み重なって、何か大きいものになるかもしれない。
ただ、それには膨大な時間がかかるだろう。
だからこそ、自分だけでも自分を好きで信じて生きていくしかないのではないかと。
他者からにも好かれて生きていけたらもっと幸せかもしれないが。
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