実に虚無である。
生きていく中で、何に対しても意味を見出すことができない。
そりゃおいしいものを食べればおいしいし、寒い日に入るあったかいお風呂は気持ちいい。
でも長い目で見ると、どうして生きているのかがわからなくなってしまう。
「生きてりゃいいことあるさ」とかいう自己啓発に対しても「まあそうだろうな」と思いつつも、嫌気がさす。
音楽とかアニメとか、趣味に没頭しているときも、すごい楽しい。
しかし、いつも何かをきっかけに、人生というものの無意味さを実感させられる。
生きがい、というものを見つけられていないのだろうか。
散らかった部屋を見渡し、そんなことを考えてはまた虚無に襲われる。
こんな文章が誰かの役に立つとは思えない。
無理やり意味を持たせるとするならば、ぼく自身の心の整理だろう。
三月という季節は、取り巻く環境が一変する。
そこで失恋などということが重なれば、それはそれは心がぐちゃぐちゃになってしまう。
このインターネットという公の場でわざわざ言うことでもないが、そうでもしないとやっていけない。
だからなんていうか、同じようなことを抱えているなら一緒に少しでも楽になろうよと。
完全に解決ということは無理だろうが。
人生はつまらない
ぼくはもう悟った。
人生は総合的に見ればつまらない。
途中で楽しいことはいっぱいある。
でもやっぱり人生そのものはつまらない。
ぼくは比較的生きている環境に恵まれている方だとは思う。
「それで人生がつまらないとか、何舐めたこと言ってんの?」とか言ってくるぼくもいるけど、やっぱりつまらないものはつまらない。
つまらないつまらない言ってると余計つまらなく感じそうだが、つまらないものはしょうがない。
いや、そもそもつまらないってなんだ?
面白いってなんだ。
死にたいとは思えない
これがまた厄介なところではあるが、死にたいわけでもないのだ。
SNSで「死にたい」とか「死にたい」とかいう病める女の子もいるが、まったくもって共感は出来ない。
だって、死ぬのは痛いし苦しい。
こう言えるぼくは比較的余裕があるほうだからなのかもしれないが、本気で「死にたい」なんて思ってないなら言わない方がいいだろう。
「死にたい」って言ってると死神が寄ってくるってママが言ってた。
でもやっぱり人生はつまらない
なんて意味のない問答なのだろうか。
これが仏教に見る輪廻というものなのだろうか。
そうだとしたら、ぼくもいち早く解脱したいものだ。
でもやっぱり現世を捨てたくはない。
こう思えるぼくは、まだ未来に希望を抱いてしまってるのだろうか。
他は何も見えなくなってしまう恋(三次元に限らず)とか、それをしてるだけで何もかもどうでもよくなってしまうこととか、見つかるのだろうか。
まあでも、あまり期待はしていない。
そんなこんなで、なんとなく、適当に、提出期限が近い課題をこなそうかなと。
これってもしかして「あゝ無常」ってやつなのだろうか。
知らんけど。
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