なぜ、怒られるとやる気がなくなるのか。

お母さんが子供に怒っているイラスト 生きる秘訣

先日、ぼくは怒られた。

翌日出そうと思っていた書類を、「早く出せよ、出してないのお前だけだぞ」と。

相手の方は怒りを隠しているつもりだったのだろうが、声が震えているところから怒っているのが手に取るようにわかった。

翌日出そうと思っていたのに。

相手の方が偉いから、反論は逆効果なことは分かっていた。

別に締め切りを提示されていたわけでもなく、ぼくの中でも早め早めに出そうとしていたのに。

その書類は、すぐに仕上げられるものではなく、多少のやる気を必要とするものだった。

帰宅したらさっさと仕上げようと思っていたのに、すっかりやる気が削がれてしまった。

まあどうしてもやらなくてはいけないことだったので、いやいやこなしたが。

それはもう、嫌な気分だ。

このようなことは、誰しも経験したことがあるのではないのだろうか。

一番わかりやすいところでいうと、宿題を自分からやろうとしてたのに、親に「勉強しなさい」と怒鳴られたり。

「やろうとしてたのに」と言っても無駄だ。

怒り始めた人って、もう話を聞く耳を持たない。

怒ったら、最後まで怒り抜く。

世界一余計なプライドだ。

もちろん、怒られた方は非常に不愉快だ。

だが、反論をしたって余計なプライドに支配されている怒り人に対してはやはり、逆効果だ。

ここでぼくらは、相手より大人にならなければならない。

これがどれだけしんどいことだろうか。

大人になるときも、慎重にならなくてはならない。

「はいはい」という態度は、相手を激情させる。

表向きの態度は「ごめんなさい」でいつつ、心の中で「はいはい」とため息をつかなければならない。

理不尽な世の中だ。

そうやってその場を収めることができたとしても、ぼくらの中には不愉快な感情が残ってしまう。

根本的な解決というのは難しいものだ。

しかし、そんなくだらないことで自分の生活の幸福度を下げられるのも悔しい。

そこで非常に苦し紛れになるが、理不尽な怒りをぶつけてきた相手に対して、慈悲の感情を抱く。

「ああこんなことで怒ってしまうのか、かわいそうに」

もちろん口に出してはいけない。

考えるのは自由だ。

それともあなたが寛大な心を持っているならば、相手に感謝しても良い。

「ああこの人はこんなにも私のことを思ってくれている」

まあ寛大な心を持っているならイライラなどしないはずなのだが。

たとえイライラが解消せずとも、やるべきことを放棄してはならない。

そうなってくると怒り人は余計につけあがる。

これは最も避けるべきことだ。

「ああ、どうしてこの世界はこんなに私だけに厳しいのだろう」と世界の有り様を嘆きながら、どうにかこなさなければならない。

我慢のしすぎも良くないが、そのうちどうでも良くなってくるかもしれない。

そうなってくればもはや、悟りを開いたも同然だ。

巡り巡って、そのうち宝くじでも当たるかもしれない。

今回はどうにか、幻の3億円に免じて。

ぼくらの明日はもう少しいい日になるはずだ。

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